小5の時にTVでたまたま見たブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」に感動し、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー等の香港カンフースターにはまる。小学、中学、高校と僕の青春は香港映画一色だった。今振り返ってみるとあの頃、80年代〜90年代が香港映画全盛 期だったようで、一番いい時期に香港映画を堪能できた僕はラッキーだったのかもしれない。本当にあの頃は、TVでも無名な役者さん主演のカンフー映画が昼の時間帯、深夜の時間帯で流れていて、カンフーが好きになる条件は今よりも断然整っていた。
13歳、中学入学とともに太極拳教室に通い始め高校卒業までに、24式太極拳、32式太極剣、導引養生功、初級長拳を北京体育大学・楊白龍副教授に師事しマスター。しかし…
「やっぱり太極拳だけでなく、カンフーも身につけたい!」と思った僕は単身北京へ。北京体育大学武術研修班を経て、同大学武術学部へ入学。
当初は1、2年で帰国しようと思っていたけど、結局18歳から24歳までの6年半を北京で過ごした。なので、普通に中国語もOK。
在学中は、李艶君先生、李自力先生(現日本代表チームコーチ)に師事。先生にも恵まれラッキーな武術留学だったと思う。
99年7月に帰国した僕は、武術太極拳の指導者として生活を立てて行こうと決意したものの、この年は踏んだり蹴ったりの下半期で、年末には鬱状態。「何もしたくねぇ。」「誰とも会いたくねぇ。」昼と夜が逆転して我人生最悪の時期。
翌年2000年、心機一転気持ちを新たに武術太極拳の指導者として生活を立てて行こうと再奮闘。団体名も僕しかいないのに、東日本武術・太極拳クラブとすごそうな名前をつけて、いざ武術太極拳業界へ参入! |